|
 |
プロフィール |
Author:武井崇
「岸田森について私が知っている二、三の事柄」へようこそ。 俳優岸田森の事を中心に、週一くらいで書いてゆきます。
資料サイト「岸田森全仕事」もご覧ください
|
カレンダー |
03
| 2021/04 |
05
日 |
月 |
火 |
水 |
木 |
金 |
土 |
- |
- |
- |
- |
1 |
2 |
3 |
4 |
5 |
6 |
7 |
8 |
9 |
10 |
11 |
12 |
13 |
14 |
15 |
16 |
17 |
18 |
19 |
20 |
21 |
22 |
23 |
24 |
25 |
26 |
27 |
28 |
29 |
30 |
- |
|
|
 |
|
命日 |
俳優、岸田森は、昭和57(1982)年12月28日午前4時59分に逝去しています。
今日は34回目の命日。 仕事の休みがとれたので、お墓参りに行ってきました。

場所は神奈川県にある鎌倉霊園。 いつも、命日はとても良い天気です。
写真を見ていただくと判る通り、墓石には「岸田家」ではなく、 「岸田蕃 森」のみ。 逆光で、岸田森の名前が見づらいのはご勘弁下さい。
ここに、母親の遺骨もおさめられています。
名前だけというのは、かなり変わっていますが、 実は、平成24年に岸田蕃さんがお亡くなりになるまでは、 墓石には「岸田森」の名前のみでした。

無宗教だったためか、線香を置く所などはありません。 大体が、みんなお酒を置いてゆくそうです。 私も缶ビールを置いてきました。
|

〝森〟日本紀行 第七回 幻の国は今…(再録) |
この記事は、2011年7月10日に Mixiで公開したものの、再録です。 取材は五年以上前ですので、記事で書いた現状とは異なっていると思われます。 その点、考慮してお読みいただければ幸いです。
      
今回は『近頃なぜかチャールストン』に出て来た独立国家(!)ヤマタイ国のある耶馬臺荘です。

現在は、取り壊されて一軒家が建っています。 写真左上の方に、ちらっと見えている赤い屋根の家が、耶馬臺荘のあった場所です。 路面も綺麗になり、突き当りが映画ではガレージでしたが、今は階段で山の上に抜けられるようになっています。 道の形が映画と全く変らず、また写真右端の建物は当時のままです。

こちらは、耶馬臺荘を裏から見たところ。 赤い屋根の家のあるあたりが庭。閣僚たちが朝、ラジオ体操をやっていた所です。 ちょうど、閣僚を狙った暗殺者が、ライフルを撃った時と同じ視点です。 殿山泰司文部大臣の股引を撃ち抜いてしまう、あのシーンです。

こちらは藤木悠さんのちり紙交換車が走り回っていた道。 川は綺麗に整備されていますが、背景の山や道の形は当時の面影を残します。 ほとんど同じ場所を撮影に使っているので、見回すと上の三枚の風景が見える、まさに「ヤマタイ国はここだ!」状態になります。
ちなみに、耶馬臺荘を俯瞰する映像は、なんと六本木六丁目だそうです。 今は六本木ヒルズの下に埋もれている所です。 たった一軒の家を、二か所を使って撮影するなんて、映画は色々と手間がかかるものなんですね。
      
新ATG一千万円映画の一本として作られたので、かなりの低予算作品です。 だが、その低予算ぶりを逆手にとって、 監督の自宅や事務所など、身近なものを徹底的に使っています。 自主映画とはこう作るんだ、という見本のような作品です。 (ちなみに、岸田森さんは内閣書記官長役です)

こちらは、川崎市多摩区にあるビル。 岡本喜八監督の事務所もこのビルの中にあるそうです。 このビルを警察署に見立てて撮影。監獄のシーンも、一部屋を使って牢屋を作ったという事です。 このビルを見ると「ここが警察署?」というくらいの普通のビルなのですが、 撮り方が上手いので、警察にしか見えません。正に映像のマジックです。
      
この耶馬臺荘は、先月再録した 極々プライベートな出発点 〝森〟日本紀行 第四回 の、坂田自動車修理工場と、意外と近い所にあります。
数年前「近頃 なぜか チャールストン」を、フィルムで見る機会がありました。 スタンダードサイズの映画なので、映画館が映写機のアパーチャー(?)をわざわざ購入しての上映でした。 この作品、最初見た時、その独特な展開に面喰ってしまったのですが、 何回も見てゆくと、癖になるような面白さがジワジワと伝わってきます。
この独特な展開は、どうも岡本喜八監督の自然な感覚らしく、 「大学の山賊たち」や、未製作の「アンドロイド」など、 似たような展開の作品が何作か見受けられます。 また、岡本喜八監督の代表作の一本「肉弾」や「江分利満氏の優雅な生活」も、 かなり独特な展開で、監督独自の世界を楽しませてくれます。 無理やり分析すると、 起承転結、というよりも、映画で描く世界観の方が、印象が強い、という事でしょうか。
このブログを読んでいただける人には言う必要もないとは思いますが、 機会がありましたら、是非ともご覧下さい。 また、見た事がある方は、もう一度どうぞ。違った面白さが伝わってくる佳作です。
|

〝森〟日本紀行 第六回 変わるもの/変わらないもの(再録) |
この記事は、2011年6月12日に Mixiで公開したものの、再録です。 取材は五年以上前ですので、記事で書いた現状とは異なっていると思われます。 その点、考慮してお読みいただければ幸いです。
      
今回はロケ地として、結構有名な所です。

『傷だらけの天使』で、萩原健一、水谷豊が住んでいたペントハウスのあるビル。 代々木会館です。
周りのビルは殆ど建て替わっているのに、このビルだけは依然として以前のまま。 近代的なビルの中に、70年代が十年一日のごとく建っている風景は、とても異様です。
写真では判りづらいですが、ビルの右隣の工事現場は、放映当時から建っていた低層ビルの取り壊し現場。 また一つ、放映当時の面影が無くなりました。 写真右端の白いビルも、確か放映当時からあったと思いますが、外装は綺麗にしています。

こちらは二人の住んでいたぺントハウスの望遠写真。 部屋に行く階段がすでに無いような気がします。
中には入りませんでした。 ともかく外見が怪しく、 しかも三階にあるテナント「中国関係書店」を見ると、どうしても足が進まず、写真のみで失礼します。 (ベントハウス目当てでビルに突入して、不法侵入で警察にお持ち帰りされる方が昔は良くいたそうです…)
JR代々木駅の山手線ホームからも良く見えます。 いつ取り壊されてもおかしくないような雰囲気ですので、山手線に乗る時には是非気にして見て下さい。

こちらは『傷だらけの天使』もう一つの舞台、 岸田今日子、岸田森が運営(?)していた綾部探偵事務所跡。 左のマンションが、その跡地。東京都世田谷区にあります。
三十五年以上もそのまま残っているペントハウスと違って跡かたもなし。 かなり大きなマンションになっています。それだけ洋館は大きかったという事でしょう。 今では、道路の形でかろうじてこの場所と判るくらいです。 正面奥の住宅だけは、放映当時とかわらないようです。

これは、上の写真の画面奥、突き当たり角の左を見たもの。 道路が階段になっていますが、これは背景に何回も登場しています。 ここだけはそのままでした。
当時、この洋館は良くロケに使われていたようで、 同じく岸田森が出演した「土曜ワイド劇場 怪奇!金色の眼の少女」にも使われています。
      
おまけ

この写真だけで、何か判りますか? 岸田森さんが怪演を見せた所、テレビと同じ構図です。
【ヒント】 昔画面中央には鉄の手すりが階段下まで続いていました。 岸田森さんと水谷豊さんが登場するシーンです。
      
おまけの問題ですが、 当時ミクシィに載せた翌日には、正解が出ていました。 凄いなと思います。
代々木会館は、ストリートビューで見る限り、この写真の頃とあまり変わっていません。 何回も取り壊しの噂があるのですが、 まだまだ元気です。山手線に乗った時には、必ずまだあるのか確認するようにしています。
|
|
 |
|