この記事は、2011年5月11日に Mixiで公開したものの、再録です。 取材は五年以上前ですので、記事で書いた現状とは異なっていると思われます。 その点、考慮してお読みいただければ幸いです。
      
昭四〇年四月一日、岸田森は、同じ文学座付属研究所同期の女優、悠木千帆(現・樹木希林)と結婚します。 この珍しい結婚の日取りは、悠木千帆が文学座に正式に座員として認められた日、だったからだそうです。
二人は、池袋駅にほど近い商店街の中、中華料理屋の二階に新居を構えました。 この建物は、悠木千帆の父親が家主だった関係で家賃はタダ。

これは、当時週刊明星(1966.7.24)に掲載されていた夫婦のお宅訪問企画の一部分。

こちらは、婦人倶楽部(1966.6)掲載の貴重なスナップ部分。
この場所は、現在はこんな感じに変貌しています。

赤丸の所が、その場所。 中華料理屋は現在は建て替えられて、小さなビルになっています。 一階部分が店舗で、取材時には焼き肉屋が入っていました。 同じ料理屋というのが、少し嬉しかったです。
この辺りは、今では繁華街の一部になっているけれども、 少し歩みを進めると昔ながらの商店が残っている、どちらかというと静かな一角です。
ちなみに、婦人倶楽部の「窓から顔を出す二人」と同じアングルで撮るとこんな感じ。

当たり前ですが、もう面影はありません。 説明しなければ、何を撮ったのかすらわからない写真です。
      
作家の山元清多さんは、この新居に良く出入りしていました。 この当時「六月劇場」という劇団に、仕事を辞めて舞台監督として飛び込んだ山元清多さんは、 金銭的に恵まれない状況が続いていたそうです。 そんな時、岸田森さん夫婦が、新居に何回も山元清多さんを呼んでくれました。
「床がドアになっていて、そこを開けると梯子で店に降りられようになっていました。 僕が行くと、森はそのドアを開けて、下のお店に 『頼むよ!』 って声をかけるんです。 そうすると、下のお店の人が、梯子を上がってオムライスとかを持って来てくれる。 当時、貧乏で、食べるのも大変だったから、本当に助かりました。」
山元清多さんは、作家としてデビューしてからも、 良く岸田森さんと共に、池袋の家で、徹夜で脚本を書いたりしたそうです。
      
また、岸田森さんに徹夜で何回も蝶の話を聞かされたことが、物凄く印象に残ってるそうです。
「もう、蝶の話を始めると、その夜は帰れない。 草野大悟なんか 『ああ、もう駄目だ』 何て言ってあきらめて飲み始めちゃう… 「お前、なんで俳優になったの?」 というくらい、詳しいんです。」
だが、コーヒーやピザなどをとってくれたりと、色々と気遣いはしてくれたので、退屈はしなかったそうです。
二人は昭和四十四年に離婚。この池袋の部屋も引き払います。 けれども、二人と山元さんの交流は続き、 山元さんは幾度となく仕事に声をかけてもらっています。
この小さな部屋は、作家、山元清多さんにとって、その後の人生を決めた部屋といえるでしょう。
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