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「岸田森について私が知っている二、三の事柄」へようこそ。
俳優岸田森の事を中心に、週一くらいで書いてゆきます。

資料サイト「岸田森全仕事」もご覧ください

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岸田森について私が知っている二、三の事柄
俳優岸田森に関してのブログです。
三船寿司(〝森〟日本紀行 第9回)(再録)

この記事は、2011年8月11日に
Mixiで公開したものの、再録です。
取材は五年以上前ですので、記事で書いた現状とは異なっていると思われます。
その点、考慮してお読みいただければ幸いです。







御存知の通り、俳優岸田森は急逝したために、晩年という言い方はあまりしっくりこない。
だが、計算上晩年といわれる昭和50年代中盤は、それまでの芸歴から考えると一番仕事をこなしていた時期だ。

そんな時期、岸田森が応接室代わりに通っていた寿司屋があった。
それが、JR恵比寿駅から徒歩十分くらいの場所にあった『三船寿司』という寿司屋。
岸田森が当時住んでいたマンションから徒歩三分程度の所にあった。

  
121531_1258693772_157large.jpg
 


現在は、イタリア料理屋になっている。


もともと『三船寿司』はJR山手線恵比寿駅前にあった。
この時から、岸田森は顔を出していたのだが、近所に新しい支店が出来ると、時間があるときにはいつも入り浸るようになった。


「オフの時、五時くらいから飲んでいるんですよ。それで十一時くらいまで。ほとんど来ない日はなかったです。」



当時、この店に働いていて、後に岸田森スナックを経営する事になるMさんは、このように覚えていた。

脚本の打ち合わせや、お客の相手など、本当に応接間のような使い方で、
携帯電話が普及していなかった当時、岸田森宛ての連絡は、いつもこの店に入ってきていたそうだ。


さて、どれだけマンションと近いかというと…


121531_1258693782_139large.jpg


写真三枚つなげてみました。見づらくて申し訳ありません。

左の赤丸が三船寿司、右の青丸が岸田森さんの住んでいたマンション。

この寿司屋では、岸田森は沢庵のようなものだけを肴に、延々と飲み続けていたそうだ。


「結局、ほとんどあんまり喰わないんですよ。誰か呼んだ時に、寿司を食べさせる。で、自分は飲んでいる。長い時間飲んでいても森さん平気ですから。」



多分、この頃から、喉に異常があり、あまり食べられなかったのかもしれない。


もう一つ、Mさんは面白い事を教えてくれた。
岸田森のお茶目な一面だ。


「森さんの事を、お客さんが何人か気づくわけですよね。
それに気づくと、森さんは見ているのがわかっていて、いたずらをするんです。
お醤油をおもむろに小皿に注ぎ足して、そこに爪楊枝をゆっくり浸して、芝居がかったような仕草で舐めるんです。」



Mさんはこの時舐め方を実演してくれたが、かなり気味悪い感じでじっくり爪楊枝を舐めていた。
いかにも岸田森ならばやっていたのかもしれない。
そうやって、お客さんを驚かして楽しんでいたみたいだ。
それほど、岸田森はこの店を気にいっていたのだろう。



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〝森〟日本紀行 第七回 幻の国は今…(再録)

この記事は、2011年7月10日に
Mixiで公開したものの、再録です。
取材は五年以上前ですので、記事で書いた現状とは異なっていると思われます。
その点、考慮してお読みいただければ幸いです。





今回は『近頃なぜかチャールストン』に出て来た独立国家(!)ヤマタイ国のある耶馬臺荘です。


121531_1209284726_137large.jpg



現在は、取り壊されて一軒家が建っています。
写真左上の方に、ちらっと見えている赤い屋根の家が、耶馬臺荘のあった場所です。
路面も綺麗になり、突き当りが映画ではガレージでしたが、今は階段で山の上に抜けられるようになっています。
道の形が映画と全く変らず、また写真右端の建物は当時のままです。


121531_1209284712_123large.jpg



こちらは、耶馬臺荘を裏から見たところ。
赤い屋根の家のあるあたりが庭。閣僚たちが朝、ラジオ体操をやっていた所です。
ちょうど、閣僚を狙った暗殺者が、ライフルを撃った時と同じ視点です。
殿山泰司文部大臣の股引を撃ち抜いてしまう、あのシーンです。


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こちらは藤木悠さんのちり紙交換車が走り回っていた道。
川は綺麗に整備されていますが、背景の山や道の形は当時の面影を残します。
ほとんど同じ場所を撮影に使っているので、見回すと上の三枚の風景が見える、まさに「ヤマタイ国はここだ!」状態になります。


ちなみに、耶馬臺荘を俯瞰する映像は、なんと六本木六丁目だそうです。
今は六本木ヒルズの下に埋もれている所です。
たった一軒の家を、二か所を使って撮影するなんて、映画は色々と手間がかかるものなんですね。






新ATG一千万円映画の一本として作られたので、かなりの低予算作品です。
だが、その低予算ぶりを逆手にとって、
監督の自宅や事務所など、身近なものを徹底的に使っています。
自主映画とはこう作るんだ、という見本のような作品です。
(ちなみに、岸田森さんは内閣書記官長役です)


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こちらは、川崎市多摩区にあるビル。
岡本喜八監督の事務所もこのビルの中にあるそうです。
このビルを警察署に見立てて撮影。監獄のシーンも、一部屋を使って牢屋を作ったという事です。
このビルを見ると「ここが警察署?」というくらいの普通のビルなのですが、
撮り方が上手いので、警察にしか見えません。正に映像のマジックです。






この耶馬臺荘は、先月再録した
極々プライベートな出発点 〝森〟日本紀行 第四回
の、坂田自動車修理工場と、意外と近い所にあります。

数年前「近頃 なぜか チャールストン」を、フィルムで見る機会がありました。
スタンダードサイズの映画なので、映画館が映写機のアパーチャー(?)をわざわざ購入しての上映でした。
この作品、最初見た時、その独特な展開に面喰ってしまったのですが、
何回も見てゆくと、癖になるような面白さがジワジワと伝わってきます。

この独特な展開は、どうも岡本喜八監督の自然な感覚らしく、
「大学の山賊たち」や、未製作の「アンドロイド」など、
似たような展開の作品が何作か見受けられます。
また、岡本喜八監督の代表作の一本「肉弾」「江分利満氏の優雅な生活」も、
かなり独特な展開で、監督独自の世界を楽しませてくれます。
無理やり分析すると、
起承転結、というよりも、映画で描く世界観の方が、印象が強い、という事でしょうか。

このブログを読んでいただける人には言う必要もないとは思いますが、
機会がありましたら、是非ともご覧下さい。
また、見た事がある方は、もう一度どうぞ。違った面白さが伝わってくる佳作です。




〝森〟日本紀行 第六回 変わるもの/変わらないもの(再録)

この記事は、2011年6月12日に
Mixiで公開したものの、再録です。
取材は五年以上前ですので、記事で書いた現状とは異なっていると思われます。
その点、考慮してお読みいただければ幸いです。





今回はロケ地として、結構有名な所です。

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『傷だらけの天使』で、萩原健一、水谷豊が住んでいたペントハウスのあるビル。
代々木会館です。

周りのビルは殆ど建て替わっているのに、このビルだけは依然として以前のまま。
近代的なビルの中に、70年代が十年一日のごとく建っている風景は、とても異様です。

写真では判りづらいですが、ビルの右隣の工事現場は、放映当時から建っていた低層ビルの取り壊し現場。
また一つ、放映当時の面影が無くなりました。
写真右端の白いビルも、確か放映当時からあったと思いますが、外装は綺麗にしています。


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こちらは二人の住んでいたぺントハウスの望遠写真。
部屋に行く階段がすでに無いような気がします。


中には入りませんでした。
ともかく外見が怪しく、
しかも三階にあるテナント「中国関係書店」を見ると、どうしても足が進まず、写真のみで失礼します。
(ベントハウス目当てでビルに突入して、不法侵入で警察にお持ち帰りされる方が昔は良くいたそうです…)

JR代々木駅の山手線ホームからも良く見えます。
いつ取り壊されてもおかしくないような雰囲気ですので、山手線に乗る時には是非気にして見て下さい。


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こちらは『傷だらけの天使』もう一つの舞台、
岸田今日子、岸田森が運営(?)していた綾部探偵事務所跡。
左のマンションが、その跡地。東京都世田谷区にあります。

三十五年以上もそのまま残っているペントハウスと違って跡かたもなし。
かなり大きなマンションになっています。それだけ洋館は大きかったという事でしょう。
今では、道路の形でかろうじてこの場所と判るくらいです。
正面奥の住宅だけは、放映当時とかわらないようです。


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これは、上の写真の画面奥、突き当たり角の左を見たもの。
道路が階段になっていますが、これは背景に何回も登場しています。
ここだけはそのままでした。


当時、この洋館は良くロケに使われていたようで、
同じく岸田森が出演した「土曜ワイド劇場 怪奇!金色の眼の少女」にも使われています。





おまけ

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この写真だけで、何か判りますか?
岸田森さんが怪演を見せた所、テレビと同じ構図です。

【ヒント】
昔画面中央には鉄の手すりが階段下まで続いていました。
岸田森さんと水谷豊さんが登場するシーンです。





おまけの問題ですが、
当時ミクシィに載せた翌日には、正解が出ていました。
凄いなと思います。

代々木会館は、ストリートビューで見る限り、この写真の頃とあまり変わっていません。
何回も取り壊しの噂があるのですが、
まだまだ元気です。山手線に乗った時には、必ずまだあるのか確認するようにしています。



〝森〟日本紀行 第五回 夜に蝶の話(再録)

この記事は、2011年5月11日に
Mixiで公開したものの、再録です。
取材は五年以上前ですので、記事で書いた現状とは異なっていると思われます。
その点、考慮してお読みいただければ幸いです。




昭四〇年四月一日岸田森は、同じ文学座付属研究所同期の女優、悠木千帆(現・樹木希林)と結婚します。
この珍しい結婚の日取りは、悠木千帆が文学座に正式に座員として認められた日、だったからだそうです。

二人は、池袋駅にほど近い商店街の中、中華料理屋の二階に新居を構えました。
この建物は、悠木千帆の父親が家主だった関係で家賃はタダ


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これは、当時週刊明星(1966.7.24)に掲載されていた夫婦のお宅訪問企画の一部分。


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こちらは、婦人倶楽部(1966.6)掲載の貴重なスナップ部分。



この場所は、現在はこんな感じに変貌しています。


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赤丸の所が、その場所。
中華料理屋は現在は建て替えられて、小さなビルになっています。
一階部分が店舗で、取材時には焼き肉屋が入っていました。
同じ料理屋というのが、少し嬉しかったです。

この辺りは、今では繁華街の一部になっているけれども、
少し歩みを進めると昔ながらの商店が残っている、どちらかというと静かな一角です。


ちなみに、婦人倶楽部の「窓から顔を出す二人」と同じアングルで撮るとこんな感じ。


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当たり前ですが、もう面影はありません。
説明しなければ、何を撮ったのかすらわからない写真です。





作家の山元清多さんは、この新居に良く出入りしていました。
この当時「六月劇場」という劇団に、仕事を辞めて舞台監督として飛び込んだ山元清多さんは、
金銭的に恵まれない状況が続いていたそうです。
そんな時、岸田森さん夫婦が、新居に何回も山元清多さんを呼んでくれました。


「床がドアになっていて、そこを開けると梯子で店に降りられようになっていました。
僕が行くと、森はそのドアを開けて、下のお店に 『頼むよ!』 って声をかけるんです。
そうすると、下のお店の人が、梯子を上がってオムライスとかを持って来てくれる。
当時、貧乏で、食べるのも大変だったから、本当に助かりました。」




山元清多さんは、作家としてデビューしてからも、
良く岸田森さんと共に、池袋の家で、徹夜で脚本を書いたりしたそうです。





また、岸田森さんに徹夜で何回も蝶の話を聞かされたことが、物凄く印象に残ってるそうです。

「もう、蝶の話を始めると、その夜は帰れない。
草野大悟なんか 『ああ、もう駄目だ』 何て言ってあきらめて飲み始めちゃう…
「お前、なんで俳優になったの?」 というくらい、詳しいんです。」



だが、コーヒーやピザなどをとってくれたりと、色々と気遣いはしてくれたので、退屈はしなかったそうです。


二人は昭和四十四年に離婚。この池袋の部屋も引き払います。
けれども、二人と山元さんの交流は続き、
山元さんは幾度となく仕事に声をかけてもらっています。

この小さな部屋は、作家、山元清多さんにとって、その後の人生を決めた部屋といえるでしょう。




極々プライベートな出発点 〝森〟日本紀行 第四回(再録)

この記事は、2011年3月27日に
Mixiで公開したものの、再録です。
取材は五年以上前ですので、記事で書いた現状とは異なっていると思われます。
その点、考慮してお読みいただければ幸いです。





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何の変哲もない住宅地の道路です。この写真だけで場所、お分かりでしょうか。

今回ご紹介する場所も私有地なので、
場所をお教え出来ないのが、何ともフラストレーションがたまるのですが…




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坂田自動車修理工場です。

『帰ってきたウルトラマン』で、
ウルトラマンに変身する郷秀樹を勇気づけた頼れる兄貴、坂田健が経営していた修理工場。
妹のアキは、郷の恋人でもありました。

説明するまでもありませんが、坂田健岸田森が演じていました。


ご覧の通り、四十年近くたつのですが、ほとんど雰囲気は変わっていません。

一番上の写真は、ナックル星人にさらわれたアキを取り返そうと、車の前に立ちふさがった場所、
ここで坂田さんは無残にも轢き殺されます。
修理工場横の道でした。


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修理工場事務所もちゃんと残っています。私有地なので入るわけにはゆかず、遠くから撮った写真だけでご勘弁下さい。
今は、物置に使われているようです。


場所は東京都世田谷区。
建物はマンションで、
その一階部分の駐車場と事務所を、坂田自動車修理工場として撮影に使っていました。

事務所は一時期運送会社の事務所となっていたらしく、窓ガラスには会社名が書かれていました
(画像処理して読めなくしてあります)





多分、私が岸田森という俳優を意識したのは、この作品からではないかと思います。

幼い頃の私は、俳優の名前に全く興味がありませんでした。
演じる事を生業にする人がいる、という事を想像すらしなかったと言った方がよいでしょう。
テレビドラマに出てくる人物は登場人物そのままだと、当時の無知な私は思っていたようです。

そんな私は、少し後に放映された何かのテレビドラマを見て、カルチャーショックを受けます。
ウルトラマンを支えていた頼れる兄貴と同じ人が、
何かの時代劇で極悪非道な悪役を演じていたのです。

俳優というものを意識した最初の出来事でした。
そして、岸田森という名前も、その後永久に忘れられなくなりました。

そういう意味でいうとこの場所は、現在こんな事をやっている私にとって、
極々プライベートな出発点といえるのかもしれません。








この記事は、東日本大震災二週間後に書いたものです。

当時、震災の被害にどのように向き合えば良いのかが全く思いつかず、
あえて、今までと同じスタイルの日記を書きました。

今読み直してみると
震災前と後、文章の書き方が変わっているようです。

特に意識をすることはなかったのですが、
知らないうちに何かが自分の中で変わったのでしょう。
過去の記事を再録してみてそんな事を感じました。